25年前から、時が止まっている?
先日、私は25年ぶりに医療事務の現場、そして受付窓口へと戻ってきました。 四半世紀という時間は、世の中を劇的に変えるには十分すぎる歳月のはずです。しかし、そこで私が真っ先に感じたのは、復帰への懐かしさなどではありませんでした。それは、胃の奥が重くなるような「絶望的なまでの違和感」だったのです。
私が医療事務の資格を取ったのは、二十歳の妊娠中のことでした。産後のキャリアをスタートさせた四半世紀前、当時の現場は「医事コン(医療事務コンピュータ)」の導入黎明期にあり、分厚い紙カルテからデジタルへとようやく移行が始まった、変革の熱量に溢れた時代でした。
そして2026年、現在の勤務先。 驚くべきことに、そこで目にした光景は当時と大して変わっていませんでした。
「DX」という言葉が虚しく響く現場
もちろん、25年前にはなかったものも存在します。窓口にはマイナンバーカードの読み取り機が鎮座しており、一見すれば現代的な設備が整っているように見えます。しかし、それが現場に浸透しきっているとはお世辞にも言い難い状況です。
電子カルテこそ導入されていますが、特に入院部門においては、いまだに「紙カルテ」が主役の座を譲っていません。 以前勤めていた大規模な総合病院と、現在の50床規模の療養型病院という環境の違いはあるでしょう。ですが、それを差し引いたとしても、「日本の医療業界、一体どれだけ遅れているのですか?」と、正直なところドン引きしてしまいました。
世間ではAIの導入だ、DX(デジタルトランスフォーメーション)だと声高に叫ばれていますが、現場はそれ以前の問題です。最新のシステムと、昭和から続くアナログな慣習が無理やり共存している。まるで石器時代にタブレットを持ち込んだような、極めて歪な光景がそこには広がっています。

「この国、本当に大丈夫なのか?」
この凄まじいまでのアナログ具合を目の当たりにすると、遅れているのは医療業界だけではないのではないか、と暗澹たる気持ちになります。 命を預かる最前線の現場が、いまだに紙と手書きの文化に縛られ、非効率の極みにある。その現実に直面して、「この国、やはりもう手遅れなのではないでしょうか……」と絶望を感じるのは、私だけではないはずです。
私は自分が「浦島太郎」になったのだと思い込んでいました。25年のブランクを埋めるために、必死で最新の知識を叩き込まなければならないと覚悟していたのです。しかし、実際に蓋を開けてみれば、止まっていたのは私ではなく「社会のシステム」の方でした。
止まった時計の針に、救われている皮肉
ですが、そんな絶望的な状況だからこそ、私のような「25年のブランク」がある人間でも、驚くほどすんなりと現場に受け入れてもらえたのだと感じています。 システムが進化していないからこそ、四半世紀前の経験がそのまま通用してしまう。この事実は、私個人の「利害」としては非常に好都合ですが、「社会のシステム」としてはあまりに悲劇的です。

変化を拒み、過去の成功体験にしがみつき続けた結果、時が止まってしまった現場。 私はそこで、最新の設備を眩しく眺めながらも、足元に広がる泥臭いアナログの海を泳いでいくしかありません。
「25年前の知識で戦えてしまうなんて、笑えないジョークですよね( ´∀`)ハハハ」
そんな乾いた笑いを浮かべながら、私は今日も紙カルテの山を捌き、歪な2026年の現実を生き抜こうと思います。自由を掴むための「脱走計画」の舞台が、まさか四半世紀前から変わっていないタイムカプセルの中だったとは、皮肉にもほどがあるというものです。
新しい職場の違和感は、最初の3ヶ月が一番しんどいと言われます。それでも「変だな」と感じるセンサーだけは、どうか手放さないでください。その感覚は、あなたが正常である証拠です。



コメント