社会復帰したら浦島太郎だった件

45歳の再出発

45歳、7年のブランクという高い壁

年明け早々、派遣の面談があり、その日のうちに仕事が決まりました。 半年前から始めた就活では、ことごとく不採用の通知ばかりをコレクションする羽目になりました。45歳という年齢、そして7年という長いブランク。この二つの数字が突きつける壁は、私の想像を遥かに超えて高く、そして物理的に分厚いものでした。

この7年間、私の人生には多くのことが起こりました。息子の受験、志した起業の頓挫、そして、パートナーとの死別。 「これからの人生は安泰だ」と、どこかで都合よく自分に言い聞かせていたのでしょう。ですが、現実はそれほど甘くはありませんでした。45歳で特筆すべき武器も持たず、いきなり社会という名の「現場」へ放り出された。それが、今の私の現在地なのだと思い知らされました。

事務職を選んだのは、単なる「利害の一致」

運良く滑り込むことができたのは、医療事務の仕事でした。 資格を取ったのは25年以上も前のこと。実務経験も、1年に満たない程度。ましてや、これが「やりたかった仕事」などという情緒的な理由は、これっぽっちもありません。 私がこの職種を選んだ理由は、極めて事務的で、冷徹なものです。 「体力の消耗を最小限に抑え、ブログを書くための時間を確保できること」 ただ、それだけのこと。この仕事は私にとって、次なる自由へと飛び移るための「踏み台」に過ぎません。それ以上でも以下でもないのです。

ですが、踏み台にするにしても、それなりの「踏み心地」は要求されます。 実際の現場は、一瞬の油断も許されない場所でした。保険診療の複雑な仕組みを、表面上だけでも理解していなければ、窓口で立ち往生する羽目になります。 あっという間に2ヶ月が経ちましたが、未だに仕事に馴染むことはありません。覚えるべきことは山積みですが、正直なところ、この分野の知識を深めようという向上心など、私には1ミリもありません。これはあくまで、生活を維持し、次のステップへ進むための「手段」なのですから。

職場環境は、驚くほど「可もなく不可もなくw」

幸いなことに、現在の職場の環境は、今の私に合っているようです。 仕事以外で周囲と余計な関わりを持たなくていい。休憩もひとりで静かにとることができ、誰にも気を使わずに済みます。分からないことがあれば、すぐに教えてもらえる。 その「ほどよい冷たさ」が、今の私にはむしろ贅沢な環境に感じられます。

唯一の誤算は、往復3時間という通勤の不便さ。これさえもう少し便利であれば、文句のつけようのない「踏み台」なのですが。 とにかく「生きるために」と始まったこの医療事務の仕事ですが、これも3年という期限付きの「執行猶予」です。この期間に、私は自分の目的を果たすための地盤を、着々と固めなければなりません。

止まったら死ぬ。私は今日も、サメのように泳ぎます

愛犬Bellやパートナーとの死別。そして、これから巣立っていく息子。 ふと自分の未来を考えると、不安を感じることもあります。暗闇の中に一人で立っているような、得体の知れない感覚に襲われる夜もあります。

けれど、私には立ち止まっている暇など1秒たりともありません。私はサメと同じです。泳ぎ続けなければ、酸素を取り込めずに死んでしまう。今の私に残された道は、ただ前を向いて泳ぎ続けること。それだけしかないのだと感じています。

不安に震える時間があるなら、一文字でも多くブログを書き、自分の目的のために時間を使う。保険診療の知識を極めることよりも、自分の未来を構築することに全力を注ぐ。それが、私が選んだ「生存戦略」です。

「踏み台なら、踏み台らしく。私は私らしく( ´∀`)ハハハ」

私は今日も満員電車に揺られながら、自分の現在地から一歩でも遠くへ、確かな「自立」へと泳ぎ続けていこうと思います。

ブランク明けの社会復帰は、誰だって浦島太郎です。特に40代以降のブランクは、戸惑いと発見の連続。同じように再出発を考えているあなたの背中を、この記事が少しでも押せたら嬉しいです。

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